第53・54回 Hさんアロマサロン祝開店・ガレー船で花見

第53回 Hさんのアロマサロン祝開店

歌って踊れるロビくん
歌って踊れるロビくん

 2021年12月、結局、コロナの自粛自粛で瞬間解除になった日、Hさんが長年の修行の末、ついにアロマトリートメントのサロンを開業したのだよ。おめでとうございます。ぱちぱち。

 病気の猫ちゃんとおかあさんの面倒を見ながら、目標に向けて着実に歩んできたのをちょっとづつ見てきた我々は、あの高尾山でずんずん先に行ってしまったHさんを思い出し、そっと両手をあわせるのであった。

 んで、Hさんのお祝いを兼ねて、ここでケータリングにするか、食べに行くかというのが当初の予定、結局みんなで「おつまみ」というか「おやつ」というかを持ち寄ってしまったので(持ち寄れとは言っていない)、おなかがいっぱいになってしまい、それぞれ離れての席で久しぶりの再会となったのでありました。

 持ち寄って料理は下の写真の通り、ロビを動画で延々と撮っていたので、電池がなくなっていてもう写真はないのだ。また、おじゃまするのだ。

 

 

 

 

第54回ガレー船(ってなに?)でお花見クルーズと深川めし

お花見の宴会は禁止なのさ
お花見の宴会は禁止なのさ
通りがかったお金持ち おちればいいのに
通りがかったお金持ち おちればいいのに

 2022年年が明けても、コロナは開けず、ついに4月になってしまった最初の土曜日、私たちは、優雅にクルーザーを貸し切り桜吹雪の「おおよこがわ」を疾風迅雷のごとく走り去るのであった。「け、貧乏人は、ガレー船にでも乗っておるがよい」

船着き場に到着

ここは 大横川
ここは 大横川

 電車を乗り継ぎ門前仲町の駅の出口(駅の中なのか外なのかわからない)で待ち合わせ、どっちが川かわからずに人の行くほうに行くと川に到着。

 みんなが行くので、行ってみると鳩が集まってサクラを食べて宴会をしている。

 休憩所みたいなところで、おねーさんがガムを噛みながら受付をしていてお金を取られるのであった。

 

 正確には東京探検リーズがれおんの「昼のお花見:さくら回廊クルーズ(35分間)」黒船橋乗船場から出発2600円(税込み)、S藤が予約してくれたんだけど当日受付もOKで、一応自粛解除なので、結構満員、桜好きのろうろうろうにゃくなんにゅにょの集まりさー。お父ちゃんだけ乗れなかった家族もいたみたいさー。

 

 ガレー船ではなく、ガレオンだそうで、橋の下をくぐるので、屋形のない屋形船だそうです。屋形船もあるそうで、昼も夜も(ちなみにガレー船は、人がこぐ船)

 出ーー発っ、どこへ行くかというと、隅田川まで行って帰ってきて、なわばりの大横川でこれでもかと桜を見て終わりというコース。

 何とか水門をくぐって、大横川を出たら隅田川に合流で、石川島の高層マンションと永代橋とスカイツリーを見てこっそりUターン。

サクラを見ながら富岡八幡宮を目指し、お昼にするようです。

焼肉屋さんの牛 痩せてます
焼肉屋さんの牛 痩せてます

とりあえず富岡八幡宮へ到着

富岡八幡宮
富岡八幡宮

おなかがすいたので、深川めしをさがしていたら、富岡八幡宮の境内にお店があるよというので行ってみたら、案内のボランティアのおっちゃん&おばちゃんが、深川めしだったら境内のお店と境外のお店で3倍値段が違うというので、境内を出て道路わたって右へ曲がった門前茶屋が安くていいというので、そうすることに変更。 

 でも、パワースポットのはずがパワーが出ないんだよねーと、一応お参りをして逃げるように外へ。伊能忠敬もいたんだけど写真も撮らず。  と、これ書いてて思い出した。

富岡八幡宮殺人事件

 富岡八幡宮は寛永4年(1627年)創建の由緒ある神社。年間30万人の集客力を見せ、不動産収入もあり裕福だった。1995年第19代宮司(以下、19代目)から、地位を受け継ぎ、長男が第20代宮司に就任したが金遣いの荒さや女癖の悪さなどが問題化し宮司の職階が解かれ、19代目が宮司に復帰した。長男は解任されたことへの逆恨みから、2006年には脅迫文をあちこち(2000通?)に送り逮捕された。19代目は高齢のため宮司の職を退き、後継者としてすったもんだの末(長女も長男(弟)のようなものだったらしいので神社本庁も認めなかったので、神社本庁から脱退)長女が21代目宮司となった。2017年12月7日、長女の21代目宮司は神社近郊の路上で第20代宮司であった実弟に日本刀で斬りつけられ、殺害された。長女が搭乗していた車の運転手も、傷害を負ったが命に別状はなかった。第20代宮司、のち共犯の妻を殺害し自殺した。「遺書には怨霊となり、神輿総代会の幹事総代とその子孫達を永遠に祟り続ける」とあったという。 臨時駐車場のところが事件のあった2億円の豪邸のあったところ。

さあ、深川めし

『深川あさり蒸籠めし』
『深川あさり蒸籠めし』

『深川めし』は、古くから深川漁師の船上食として親しまれてきました。当時の『深川めし』は、主に、あさりの味噌汁をご飯にかけたぶっかけ飯のようなものであったと聞きます。門前茶屋では、この土地で親しまれてきた『深川あさりめし』を、単なるご当地食を越えて、更に美味しく、より繊細な一品料理として提供したいと考え、日本料理の伝統的な技法である『炊き合わせ』を駆使し『蒸籠』で蒸しあげた『深川あさり蒸籠めし』として誕生させました

次回 ふじをみにいく

と言っていたような。 

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